| 5月3日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■個性はどこにあるか
個性って何でしょう。
個性っていったいどこにあるのでしょう。まるで宝探しのようです。
人間の顔はすごいですね。何十億人と人がいても、必ず見分けがつきます。世界中どんなところに旅行へ行ったとしても、ばったり知人に会えば必ずその人だとわかります。そのくらい人間というのは、表情やしぐさなどにその人ならではの個性を持っているものです。
しかし、本当の個性は、その人の考えにあるのではないでしょうか。表情やしぐさというのも、その人の人格や考えが表れたものと言うことができます。
気持ちを表すのによく使われる言葉があります。「一生懸命」とか「カッコイイ」「妥協しない」「謙虚でいたい」「大切にしたい」「中途半端にはしない」「完全主義だ」などなど。でも、一見便利なようですが、実はごまかしやすい言葉でもあります。「私って、几帳面な人だし〜」なんて、中途半端な主張に使われがちです。
どんな風に几帳面なのか、具体性が問われます。それが個性なのです。だから自分の個性を尊重してほしいなどという場合には、「自分のこんな風な個性を」と具体的にしないと、本当の部分は伝わらないのです。
個性には「正しい」「間違い」はありません。使いやすい言葉には必ず「こんな風に」をつけていきましょう。きっと自分が見えてくるはずです。
個性向上と人格向上のススメ
「個性重視の教育をしよう」などと言っている大人たちも、「もっと自分の個性を尊重してほしい」などと言う子供たちも、個性とは何かを見つめなければ、ただの言葉遊びになってしまいます。自分のいう個性とはどんなものを指すのか、より具体性をもって表現することが大切です。そして、個性を主張する時には、同時に人格もきちっとしている自分なのかを見返っていきたいものです。 |
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| 4月30日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■良いとこ探し
学生たちが作品のプレゼンテーションをするので、コメントをお願いしたいという依頼がありました。一人三分間のプレゼンに対し、一分間の感想をというのです。
引き受けるのはいいけれど、数十名のプレゼンを立て続けにちゃんと評価できるのだろうかと、正直言って不安になりました。学生の作品ですから、プロから見て悪いところや仕上がっていない部分を指摘するのなら簡単です。しかしそれでは、学生たちにとっても自分にとっても何もならない気がしたのです。
だから学生の三分間のプレゼンの中で、とにかく良いところをひとつだけ見つけようと思いました。そして、さらに良くなるためのヒントを付け加えて、一分間のコメントにしようという目標を持つことにしたのです。
当日、次から次へと学生の作品にコメントをしていきました。すると最初に抱いた不安とは裏腹に、作品の良いところばかりが見つかるのです。決しておだてているというワケではありません。ちゃんとコメントできている自分に驚きました。
昔は何を見ても悪いところばかりを見ていました。それに比べて、少しは良いところに気づけるようになった今、多少成長できているのではないかと思えました。
緊張で顔を真っ赤にしてプレゼンをしている学生は、こちらもどれだけ緊張して聞いているかを知らないでしょう。この経験は私に自信を与えてくれました。そしてこれからもずっと良いところを見つけていかれる人間になるぞ!という信念を生み出してくれました。
否定よりも肯定を優先することのススメ
どうしても悪いことの方が目につきやすいものです。しかも失敗より成功させることの方が大変なわけですから、ものごとが悪くなると予測した方が確率的にも当たりやすいはずです。だから批判するのは簡単で、肯定する方が難しいのです。自分に対しても人に対しても、感覚で否定するより理論的に肯定し、長所を伸ばすことを優先させたいものです。 |
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| 4月26日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■太陽の光
朝が好きです。スキッとしていて元気が出るので、自分に合っている感じがします。
”相似の考え方“をすると、次のような見方ができます。一年の「春夏秋冬」は、一日の「朝昼夕夜」と重なるという見方です。春(朝)、夏(昼)、秋(夕)、冬(夜)です。そう言えば、一年の中では春が一番好きです。
朝はすべてのものが芽吹く時。新鮮な空気の中、太陽の光をいっぱいに浴びて、すくすくと育つ準備をする時間帯です。太陽のエネルギーは、朝が一番パワーが強いと聞いたことがあります。目をつぶって頭のてっぺんから取り込み、足先に抜けていくようなイメージで朝の太陽のエネルギーを補充するのがいいそうです。
朝に芽吹いて、昼に育って、夕方に実って、夜に蓄える。心の成長もそんな風に考えると、一日で一年を経験できるような不思議な充実感を感じます。一日を一年と捉えることで、すごく成長性が高くなる気がするのです。
「一日のはじまりは良い書物から」という言葉があります。朝起きて、一番最初に良い書物を目にしてから一日をスタートさせる、という意味です。新聞の三面記事にある、なんともいえない悲しい事件や変なできごとの記事を読んで一日のスタートをきるより、すばらしい書物の内容に触れてからはじめた方が、一日に対する心構えが違ってきます。
太陽からたくさんのエネルギーをもらい、自分の心のエネルギーも高めて、良い一日(一年)を過ごしたいと思います。
行動意欲がわく考え方のススメ
「早起きは三文の得」といいます。早起きするとたくさん働けるからそれだけ収入が増える、という捉え方もできますが、エネルギーの高い太陽の光を浴びられる、ピンとはりつめた空気に触れることで気持ちが清められる、といった「心のお得」ともいえます。一日のスタートを大切にする積み重ねは大きいと思います。自分にとって行動意欲がわく考え方を見つけてはいかがですか。 |
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| 4月24日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■実年齢マイナス10
世間がやけに子供じみているように思います。精神年齢がとても低くなっているような気がするのです。良いとか悪いとか、昔が本当で今がおかしいとか、そんなことはわかりません。でも少なくとも、みんな昔より10歳は幼くなっている、と感じるのです。
人間は自然と、一生のスパンで人生を考えるようにできていて、平均寿命が延びたため、昔より精神的成長がゆっくりになっているのかな、なんて考えてしまいます。
実年齢から10歳を引くと、だいたい昔の精神年齢の歳になる、などというかってな計算をするようになりました。今30歳だったら昔でいえば20歳で、成人した程度です。だったら40歳は、実は30歳。
同じように、大学生の学力の低下も感じます。昔は大学のランクも一流から三流くらいだったのが、今では八流とか10流くらいまでありそうです。大学の生徒集めのために、学力の伴わない人までもが大学生になっている、というのはひとつの事実ではないでしょうか。最近ではめっぽう、大学院生や留学経験者も増えてきました。今の大学生は、昔の高校生レベルといったように、これも一段ずつ下げて見た方が良さそうです。
すべては意識の問題です。幼いから頼りない、ではなく、まだまだやらなくてはいけないことがたくさんある。これから何だってやれる。そんな風に若い気持ちを持続する方に持っていけば、変に落ち着いたオヤジにならなくてすむ、と捉えてみたいと思います。
「誇りと、自覚と、責任を」のススメ
会社も同じかもしれません。部長は課長、課長は主任と考えていくと、社長は専務。では実質の社長はどこへ行ったのか、なんてことになってしまいます。社長不在、親不在、教師不在、警官不在…。歳や経験の割にはまだまだ未熟な自分を見返り、みんなで人間性の向上を目標にしていきたいものです。 |
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| 4月18日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■間違っています「X’mas」
クリスマスをX’masと書くのは間違いです。この「’」(アポストロフィー)は、省略や所有格につける記号として使われるもの。Xはキリスト(Christ)のギリシャ語の頭文字であるXを取ったもので、省略ではない。だからXに「’」を付けるのは間違いである、ということです。確かに、どの辞書を見ても「’」は付いていません。
ところがクリスマス商戦になると、あちこちの広告でこの「X’mas」を見かけます。大手デパートのクリスマス広告にも、やっぱり「’」が付いています。それが気になって仕方がありませんでした。特に、自分が広告の仕事に関わるようになってからは黙っていられなくなり、ある時、先輩にこの話をしたのです。すると「世間がみんな付けているんだし、カッコいいから、いいんじゃないか」と言われました。
「え〜っ、そうなのか!?」とはじめは釈然としませんでした。「間違っているんだから、そんな使い方をしてはいけないんじゃないの」。
でも、よく見ると確かに、「Xmas」よりアクセントが利いてカッコいい。これは既に英文法から離れて、クリスマスを象徴する記号として認識されているのだと思いました。
間違っていても、それなりに築いてきた文化というものもあります。正論をかざして正否ばかりを問うのではなく、かといって妥協でもなく、そうやって変わっていくことも時代の流れのひとつなんだ、と受け入れることも意味があるのかもしれないと思いました。
「文化とは」を考えてみることのススメ
英語のキャッチコピーを考えたりすると、英語を知っている人から「間違いではないけれど、そんな使い方はしない」などと言われることがあります。しかし、日本語でも「通常はそんな使い方はしない」コピーがあふれていて、それがインパクトだったりします。常識や慣例は大切にする。しかし、それを超えたところに新しい文化が生まれる、という気持ちも忘れたくありません。 |
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| 4月16日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■一生もの
ある有名なお酒メーカーの人たちが、まじめに研究したそうです。
最近、「一生もの」という言葉を思い出しました。
棚はカラーボックス、テーブルは圧縮板、イスはプラスチックや安価な鉄パイプ製。お手ごろな気軽さもあって、私たちの身の周りには使い捨て感覚のものがあふれています。しかし最初はきれいに見えるこれらの物も、すぐにみすぼらしくなってしまいます。
以前「一〇〇年もつ家を建てるなら、一〇〇年立っていた木を使う」という話を聞いたことがあります。それだけの材質が必要だということと、それだけの素材を使っているのだという気合いがなければ本当にいいものには仕上がらない、という意味だと思います。
最近、会社に置くテーブルとイスを手作りしてもらいました。すべて無垢の木でできています。うまく言葉に表現できませんが、とてもいい感じがします。しっとりとして、温かで、重みがあって。私たちを見守ってくれる家族の一員が増えたようです。
しみじみと思ったのは「あぁ、一生ものだな」ということでした。感動しました。
考えてみると、私たちはどれだけ一生ものと付き合っているのでしょうか。今、いいなと思うものにすぐに飛びついて、流行が過ぎれば飽きてしまう。古くなったら買い替えればいい。もうそんな生活はやめよう、そう気づかせてもらいました。
今の時代、なかなか一生ものを持つことは大変です。でも、そういった目で物を見つけるようになると、たくさんの友だちが待ってくれているようで、なんとなく楽しくなってきます。
やっと少し、「深く物を見る目」を持つ気持ちが持てたようです。
世の中を安モノにしないことのススメ
物を気軽に使い捨てる人は、人とも深い付き合いができないように思います。良いところも悪いところも受け入れた上で、できれば一生こいつと付き合っていくんだ、という気合いや責任感のような想いが大切なのではないでしょうか。夫婦でも、家族でも、友人でも、会社でも、それが添い遂げるということだと思います。 |
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| 4月14日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■おいしい水割りの作り方
ある有名なお酒メーカーの人たちが、まじめに研究したそうです。
おいしい水割りを作るには
@まず、グラスに氷を入れて、マドラーで三回転半かき回す。
A次にウイスキーを注いで五回転半。
Bそしてお水を入れて一三回転半。それぞれ分量はお好みで。
これが、何度も繰り返し試験を重ねた結果見つけた、一番おいしくできる方法だそうです。
やってみました。なんだか、とてもまろやかです。なんでも、かき回す時の最後の「回転半」の「半」に人の心の”揺らぎ“が入るらしいのです。
科学的根拠はともかくとして、確かにこういうことはあると思います。演歌歌手の歌い方などは、まさしくその”揺らぎ“なのでしょう。最近はコンピュータで音楽も簡単に作れますが、ただデータ入力しただけでは味気ない音楽になってしまいます。
水割りもれっきとしたカクテルです。きっとそこに、バーテンダー自身の情報が入っておいしくなるのでしょう。何でも杓子定規にやったのでは、正確かもしれないけど味気がありません。すべて”揺らぎ=ココロ“が入っていくものなんだなと、こういう話を聞いてつくづく思います。
目に見えることや、科学的なことばかりで実証されることが多い世の中。一杯の水割りを作ることに込める、思い入れというものの大切さを再認識させられました。
人間力をつけることのススメ
機械化社会でなんだか冷たくなったように感じるのは、”揺らぎ“が足りないからではないでしょうか。どんなにコンピュータが追いかけてきても、超えられない人間のココロの力を持っていきたい。人として、社会人として、ある一定の平均値から瞬間的に揺らぐ「自分の個性」を、大切にしていきたいと思います。 |
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| 4月11日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■大人の学校
教育という分野をいろいろ調べてみると、ほとんどが子供のためのものになっているようです。確かに生涯学習というものはありますが、言葉の意味でいうと「教育」と「学習」は違います。教育とは教え育てるもので、学習は学びおさめるものです。子供の頃は人に教えられ、大人になったら自分で学んでいくということなのでしょう。
しかし子供の頃から受動的に教わることばかりしてきた人が、社会に出て、自ら積極的に学んでいける素養ができあがっているのでしょうか。
社会には学ぶべきことがたくさんあります。その中で大人たちは何を学んでいるのでしょう。
自分にとって都合よく稼げること、ノウハウ。自分をなぐさめ癒す方法。どうも都合の良いことばかり学んでいるようです。
その場をおさめるために、人のご機嫌を伺うようなことを覚える。そんなことをやっている人に限って「社会はこんなモン」みたいなことを言います。
しっかり学習できていない大人たちが、子供たちに勉強勉強、常識常識と言っている姿はコッケイに見えます。
人間、何歳になっても、教わることと学ぶことが必要です。今、社会に必要とされているのは「学び教えられる、人格学校」ではないかと思います。
責任を持って教えられる人になることのススメ
学習とは、自分のためだけにやっている場合が多いように思えます。苦労して学んだのだから、知識は自分だけのもの。しかし本来は、学んだことを社会や人に貢献できる人間になることが大切なのではないでしょうか。自分が気がついたことはもっとわかりやすく人に伝える。学ぶことで得意分野を持ち、それを誰もが教えていける場、それが社会=大人の学校だと思います。 |
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| 4月9日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■化粧直し、心直し
街から電信柱がどんどん取り外されています。
狭い歩道をなお狭くして邪魔だったり、はり巡らされた電線が異様な光景に見えて、電信柱がキライでした。安全面を考えても、街の美観を考えても、一日も早く取り外されればいいのにと思っていました。
しかし電信柱が取り外された街は、広々とすっきりした反面、なにかガランと空虚で寂しいものに映りました。電信柱が美観を悪くしていたという以上に、取り外した方が、街並の悪さが際立ってしまった、と感じるのです。
安っぽい、もしくは自己主張の建物ばかりが目立っているようです。実は、電信柱がこれらの味気ない建物を隠し、生活感のある人々の営みの風景を作ってくれていたのだという一面に気づきました。
電気の開通とともに生まれた電信柱のある風景…。かつては文明への憧れと喜びで迎えられたものだったでしょう。この文化にも似た日本の風景が消え去ろうとしています。これからの街づくりに関わる人たちも、そこに住む私たちも、それ以上のすばらしい街を創り上げていくのだという想いを込めて、覚悟していかなくてはならないと思いました。
飾り物を取って自分を見ることのススメ
街の話だけではなく、人間にも同じようなことがいえます。いろいろな肩書きやファッションで身を飾り、本質が見えなくなっている場合が多いからです。見栄やプライドも同じかもしれません。飾り物を取り去ってもチンケにならない人間性を、一つ一つ、歳を重ねながら作り上げていきたいものです。 |
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| 4月5日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■えらい新聞社
ある新聞社がある出版社に意義申し立てをした、というニュースがありました。新聞に掲載する週刊誌広告の見出しタイトルの表現があまりにも下劣なので、改めるように要請したというのです。
風俗関係の見出しということで、青少年への影響などを考えると当然、改善した方が良いのですが、このニュースにはもうひとつ別の意味が込められています。
かねてから私は、新聞社をはじめとするメディア関係者に対し、ある失望感を感じていました。新聞社はいい記事を書いて講読者数を増やし、新聞の実売で得た収入で経営していけばいいのに、実際は広告収入を当てにしているようなところがあります。すると広告主の顔色を伺うようになり、ジャーナリズムの本質を追究できなくなる。そんな経営体制にがっかりしていたのです。
しかしこの一件は、新聞社側が広告主である出版社に意義申し立てをしたのです。お金になるのであれば何にでも目をつぶろう、という社会への一石であり、明るい変化の兆しを感じました。
利益をあげる会社や人がエライ、という風潮に終止符を打つべきです。口では正しいことを言っているが、実際は曲がったことをしている。そんなことの繰り返しを一人ひとりが終わらせない限り、少しも社会は良くなりません。この新聞社の行動にエールを送るとともに、自らの間違いを少しずつ正していこうと思いました。
開発人、販売人、広告人の良心のススメ
体に悪い食べ物や嗜好品も、売れるからとどんどん開発する、販売する、宣伝する。もうそんなことはやめて、人類・地球のために、開発人も販売人も広告人も、商品の本質を見て仕事に関わる良心が必要な時代になっているのではないでしょうか。利潤の追究は企業にとって欠かせませんが、大切なのは何をして利益を得るかです。本当に自分たちの作っている商品が世の中にとって良いものなのか、マクロな観点から、胸に手を当てて考えてみたいものです。 |
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| 4月3日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■企業のオモテ理念とウラ理念
一般的に、企業には「企業理念」というものがあります。その企業の基本的な考えやあるべき姿を文章にうたったものですが、実際にそれは機能しているのでしょうか。
少なくとも「この理念をつくったおかげで会社が良くなった」なんて話はあまり聞きません。意識のされ方、使い方はともかくとして、その理念通りになっている会社がどれだけあるのかと思ってしまいます。
企業理念とは、あくまでも理想として掲げた明文であって、本質ではありません。本質は、結局が、毎日繰り広げられている実際の企業活動や社員の行動の延長線上にあります。
「心を込めて」とか「最高のサービスを」などと言いながら、社員のやる気が全然なかったり、利益ばかりを追究して粗悪品を世に送り出している会社だってあります。
理想と現実。企業のこの姿を「オモテ理念」と「ウラ理念」の関係と呼んでいます。あまり本質からかけ離れたオモテ理念を掲げている企業は、かえって信用できなく映ります。人間でいうと、口先だけの「ええカッコしぃ」というところでしょうか。どんなに言葉で立派なことをうたっても、実質が伴わない理念はかえってみっともないと思います。
会社を「癒しの場」にすることのススメ
企業とは、一人ひとりの夢を叶える自己実現の場であり、そういう意味で「癒しの場」であるはずなのに、実際は「労働の場」になってしまっています。ぺったんこシートの営業車、電磁波だらけのオフィス、カップ麺の夜食。従業員は大切なパートナーであり、彼らに社会貢献のために本当に実力を発揮してほしいと思うなら、このあたりから見直す必要がありそうです。 |
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| 3月31日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■価値を殺す流行の津波
ある年のクリスマス、踊るサンタクロース人形が流行しました。音楽にあわせて腰をふって踊る人形です。
その後、商店街のディスプレイに採用されました。アーケードの中に五メートル間隔で吊るされた赤くてまるいクリスマスリースの中で、何十体ものサンタがいっせいに踊っているのです。どこを見てもサンタ、サンタ、サンタ…。
このディスプレイを依頼されたデザイナーは、このサンタを使う企画が頭に浮かんだ時に「しめた!」と思ったはずです。自分で一から作り上げるより、インパクトのある既製品を使った方が、それほど創作の労をかけなくても確実に印象的にできるからです。
どこの世界でも、自分たちで流行を生み出すのではなく、流行を利用するパターンばかりが目につきます。しかも、いっぺんに露出度を上げるため、あっという間に古いものにしてしまいます。新しいものをあさっては一時に集中して売りまくり、どんどん使い捨てることの繰り返し。
翌年のクリスマスに、この踊るサンタをまた使ったら世間の反応はどうでしょう。「もう古いよね〜」という言葉が聞こえてきます。
もう何かに便乗するような利用の仕方はやめよう、うわべだけを重視する価値観は捨てよう。流行という津波にあとかたもなく運び去られてしまうだろうサンタ人形を見て、すこし悲しいクリスマスを感じてしまいました。
流行が去っても価値を認められることのススメ
流行のスパンがどんどん短くなっている今、私たちは、その商品の善し悪しを、新しい・古いということだけで決めてはいないでしょうか。そして本来の楽しみ方や使い方を忘れ、見栄のために必死に流行を追っているところもあるのではないでしょうか。流行に関係なく、その物の価値はあるはずです。流行が去っても、価値を認められる自分でありたいものです。 |
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| 3月28日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■言葉の意味より、事の意義
幸せには何通りあるのでしょう。楽しさや悲しみも何通りあるのでしょう。
多くの人が「もともとの言葉の意味」と「自分の体験」や「外部からの情報」と照らし合わせて、ひとつのイメージに決めつけてしまっていないでしょうか。
もともと幸せという言葉をとってみても「私はこんな運のいい思いをした」「僕はこんなにすばらしい発見をした」というような、さまざまな人の思いから誕生したもので、事の起こりがあったから言葉が生まれてきたのです。だから本当は、一億人いたら一億通りの幸せがあります。
それなのに私たちは、幸せとはこういういうものだ、楽しいとはこういうことだと決めつけてはいないでしょうか。そして「これくらいでは幸せとは言えない」とか「こんなことを幸せと思うなんて」などと余計なはからいをして、本当の自分にとっての大切な幸せを捨ててしまってはいないでしょうか。
何かに麻痺してしまっているのでしょうか。
「幸せって何だろう」と考える前に、今そこで起きていることの意義を見てみる。そこにはいろいろな楽しいこと、かわいいこと、すごいことが起きているはずです。その気づけたものがきっと、全部あなたの「幸せ」や「楽しさ」なのです。
幸せを見つけ出せる人になることのススメ
誰も幸せだと思わないささやかなことでも、あなたの心を照らしてくれたのなら、それはあなたにとって幸せだといえます。「幸せ」というものを勝手に定義づけてしまったら、身の周りでたくさん起きているさまざまな幸せの種に気づけません。まず自分の心に素直になり「こんなことを幸せだと思える自分なんだ」と受けとめてみることで、自分という人間がわかってくるのではないでしょうか。 |
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| 3月25日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■トキの命の価値はどれくらいか
今、ものすごい勢いでたくさんの生き物が滅んでいます。そのひとつに「トキ」がいます。
もう日本のトキの繁殖の道は断たれたようで、今は中国から贈られたトキで人工ふ化を試みているようです。以前、その生まれたトキの名前を募集したら、たいへんな数の名前が寄せられたというニュースを見ました。びっくりしました。動物に名前をつけることに興味のある人が、そんなにたくさんいたなんて。
なぜみんな、トキを大事だと思うのでしょうか。なぜあんなにマスコミが押し寄せるのでしょうか。なぜトキばかりが、あんな風に見守られるのでしょうか。そこら辺に痩せた子猫がいっぱいいます。捨てられる動物がいっぱいいます。どこが違うのでしょうか。
トキの価値は、数が少なくなったという希少価値なのでしょうか。昔は安くて肥料にしていたイワシも、今は高くなったらしい。数が減ってきたからのようです。
トキを大事にするな、というのではありません。もっと意識を向けるべきことが身近にあるのではないか、ということです。普段食べているチキンも同じ鳥です。身近な動物たちにも、トキと同じくらいに目を向けているのかを問いたいのです。
命の価値が数に反比例するならば、現在、人口爆発している人間の価値は、どんどん下がっていくということになります。大事とか大切というのは難しいことですが、少しずつ真実を見ることのできる人間になっていきたいと思います。
もっと生活に目を向けることのススメ
私たちには、マスコミで取り上げられたものに気をとられているといったところはないでしょうか。規模は小さいにしても、大事件や世間で騒がれるニュースと似たようなことが、実は日々、身の周りでも起きています。ニュースを見て問題を感じたら、一人ひとりがまず、自分の生活に落とし込んで見返ることが大切なのだと思います。 |
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| 3月21日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■アトピー、アレルギーからのメッセージ
アトピーやアレルギーの症状が世間で騒がれ、その人が特別で、その人が弱いからだなどと言われているようなところがありますが、本当にそうなのでしょうか。これは決して個人レベルのことでは済まされないと思います。
さまざまな環境問題が影響し、これだけ多くの人がいろいろな症状で悩んでいるのを見たり聞いたりすると、かえって何の症状も出ない人の方がおかしいのではないかと思ってしまうのです。
アトピーやアレルギーのひどい症状が出ている人は、実は敏感であったり、正直だったりする人なのではないか、と捉えることもできます。
敏感な人は、みんなに危険を知らせてくれる信号になってくれています。かわいそう、気の毒に、で終わらせてしまうのではなく、どうしたらそういう人たちが安全に暮らせる社会を作ることができるのかを考えることが必要です。環境に対応して変わっていくことも大切ですが、悪環境に順応できたり強くなったりして、胸を張るような人間にはなりたくありません。
強い、弱いを論じる前に、なぜ今そういうことが起きているのか、そして自分が置かれている立場ややっていることはどうなのかを見つめられる人間になりたいと思います。
変なことは変だと思える人になることのススメ
現代人は強く見えても、実は昔の人より弱くなっています。泥水を飲めばお腹をこわすし、ハダシで外を歩くのは大変です。それなのに自分より敏感な人を弱い者あつかいしてしまう。間違った規則の中で平気でいられる人だっておかしい。「これを覚えて何になるんだろう」と疑問を持たず、言われたことをとにかく何でも覚えていく子供が評価される、そんな世の中を見返る必要がありそうです。 |
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| 3月18日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■「教え方」の前に「教えること」
教育の大切さが叫ばれています。しかし論議の多くがどうも「教える内容」よりも「教え方」の方に偏っているように思えます。なぜでしょう。
コメントしている人たちは、教育に携わってきた教育者と呼ばれる人たちです。人間は恐ろしいもので、「何かおかしい」とか「だからダメなんだ」とか反発心を持ちながらも、自分の生きてきた世界から抜けられないところがあります。
確かに「教え方」を変えることで、教育の水準が上がる部分はたくさんあります。しかし今は「何を教えていくか」がより問われているのではないでしょうか。
「子供の人格を育む…」などといった言葉はよく聞きます。ではそのために何を教えればいいのでしょう。「家庭での教育が」とか「社会の人たちが一つになって」とか「教育制度を見直して」などよく耳にしますが、具体的な内容はちっとも伝わってきません。
昔は、社会や家庭や身内から、人間としての教育を受けていました。今はどうでしょう。どんなに知識教育の水準が上がっても、それを受ける人間の基本ができていなければ、何にもなりません。今、本当に必要とされている教育とは学校においても、社会においても…教育の前の教育。人間性を育てるための教育なのではないでしょうか。
理由を教えることのススメ
しつけというと、あいさつをする、散らかしたところをかたづける、おとなしくいい子にする、などと一般的には思われていますが、大切なのは、なぜそれをしなければならないのかです。あいさつは人間づき合いのけじめでもありますが、人に声をかけることで相手をうやまったり喜んでもらったり気づかったり、それを教えることが大切です。バスの中で騒いではいけないのも「運転手さんに叱られるから」ではありません。 |
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| 3月16日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■少師化
少子化が進んでいるのに、大学の建設ラッシュが続いているようです。高等教育を名目にしているらしいのですが、本当にそうなっているのでしょうか。大学が増えることによって、二つの問題が起きています。大学そのもののレベルの低下。そして講師不足です。
より専門性を求められるようになってきた大学に専門性の強い講師をということで、どこの学校も各業界からプロの人たちを招いています。しかしその講師たちは、技術的にはプロかもしれませんが、教えることに対しても専門家なのでしょうか。
疑問に思います。
利益追究ばかりで本質的な仕事ができず、プロの世界でも本当のプロが育ちにくい状況になってしまっています。それなのに人に教えられるほどのプロがどれだけいるのでしょうか。
また違った意味で、大学の師は難しいものがあります。仕事のプロとはどちらかというと、いい商品を作ったり、誰にもできないような技術を持って評価されれば良いという競争の世界。しかし講師というのは教える能力が最も必要です。業界で師になれないような人は、大学でも師になれません。
「教えることができる人」を育てる大切さ。今問題なのは「少子化」ではなく「少師化」なのではないかと思います。
教えることで学ぶことのススメ
自分ではわかっているつもりでも、いざ人に伝えようとするとうまく説明できないことがあります。それでは本当にわかっているとはいえません。感覚的にわかっているつもりでしかなかったということです。人に教えようとすることで、やってきたことを整理整頓する。そして足りない部分、不確かな部分は勉強しなおす、確認する。人に教えることが、さらに自分の学習を深めていくのです。 |
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| 3月14日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■人格貧富の差
昔に比べて生活水準は確かに向上しましたが、金銭的な貧富の差はなくなっていません。一見、物質的に豊かに暮らしているようでも、家や車のローンに追われて家計が火の車の人は多くいます。商売でいくら儲けても、もっともっと儲けたいと際限のない人もいます。
教育も普及して、誰もが同じように学校へ行き同じように知的教育を受けているにも関わらず、知的貧富の差もなくなっていません。
パソコンやインターネットが出現したことによって、ホームページや電子メールで情報交換ができるようになり、情報貧富の差も大きくなってきました。そしてこの情報貧富の差が、新たな知的貧富の差や金銭的貧富の差を生み出しています。
いろいろな貧富の差が生じている中で、最終的に何を目指せばいいのでしょう。人は、金銭や知識にばかり偏ると、心が貧しくなるように思います。何かというとお金のことばかりいう人や、知識ばかりをひけらかす人、自分のことしか考えない人は、人格の貧しさを感じてしまいます。
みんなそこそこ豊かになったため、物に対する貧困さはなくなりました。その分、メンタル的な部分で助けを求めている人が多いように感じます。
みんな人格者の出現を求めている、なのに自分がなろうとはしないのです。
物やお金でいくらでも身を飾れるようになったこの時代、いちばんの貧富の差は「人格貧富の差」なのかもしれません。
人間性の向上のススメ
物やお金があふれる社会になったことで、人格をどんどんなくしていく人と、それではいけないと人格を磨いている人との差がとても出ているのを感じます。自分の楽しみだけを追求している人と、世のために尽くそうとしている人の差は、これからさらに開いていくのではないでしょうか。お金も知識もどう使うべきか、人格を身につけることでわかってくることがきっとあるはずです。 |
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| 3月12日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■失敗の法則・成功の法則
誰かが失敗したことを同じようにすれば、同じように失敗できる。これが失敗の法則です。一般的に、失敗というのは誰もがしやすいことです。それに対して、成功の法則。いろいろな成功者という人たちの成功例をマネしても、同じように成功するとは限りません。そこが失敗の法則と大きく違うところです。
「成功する要因」を整理していくと、結局は、感謝のココロとか努力とか、人のココロを大切にとか、実行力とか、運とかツキといったものの集大成で起きているようです。この成功事例というのは、あくまでも自分の励みにするとか先哲者を尊敬するひとつの物語として受け取るにはいいのですが、非常に参考にはなりにくいものです。
その点、失敗事例はいいと思います。
先人がしてくれた失敗を同じようにすれば同じように失敗できるのですから、マネをしなければいいのです。とても参考になります。
人の成功をうらやんでいるよりも、ひとつでも多くの失敗例に耳をかたむけて現実を見つめていった方がいいのではないでしょうか。しかし、ここで気をつけなくてはいけないのは、しっかりとプラス思考にしていかないと落ち込みかねないということです。成功事例を聞いて明るくなってから、失敗事例を聞いて身を引き締めていく。これが良さそうです。
失敗を活かすことのススメ
失敗した経験が自分を成長させてくれたのであれば、失敗は成功するための過程のひとつということが言えます。だからといって「あれは失敗ではなかった」と思うよりも、「人にとんだ迷惑をかけてしまった」「あの時の自分はこんな足りないところがあった」と失敗を真摯に受けとめ、「もう二度と同じあやまちは繰り返さない」と心に誓うところに、もうワンランク上の自分になる扉が開かれるのではないでしょうか。 |
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| 3月8日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■息をするアスファルト
子供の頃は、多くの道がまだ舗装されていませんでした。夏の暑い日には道路の土が乾ききって、もうもうと砂煙が舞ったものです。一生懸命に洗濯した服も風が吹くと砂まみれ。自転車に乗るにも目は開けられないし、道路はデコボコ。そんな日には、大きなひしゃくで家の脇にあるドブから水を汲み、道路にまくのがひとつの仕事でした。
いつの間にか経済は発展し、車が増えて道路はアスファルトになっていきました。もう砂煙は起こらない。自転車もスムーズに走れます。でもふと思いました。地球は厚化粧させられているんじゃないか、と。ふざけてマニキュアを塗った時、なんだか爪が息苦しい感じがしました。きっと地球もそうなんじゃないか。心の中で、アスファルトに対する反発心が起こりました。
しかし最近になって「雨水を通す通気性の良いアスファルトの開発」という話を聞きました。少しホッとしたと同時に、ただ反発心だけを持っていた自分を反省しました。便利の恩恵は受けておきながら、悪い一面を責めてしまっていた自分を。
人間の知恵はすべて発展途上です。何かを良くしようとすると、副作用が生じます。だからといってすべてを否定してしまうのではなく、どんなこともあきらめずに改善することが大切だと気づかせてもらいました。
今日も雨が降っています。アスファルトの上を流れる雨水を見ながら、早く息のできるアスファルトになってくれれば、と願いました。
悪い一部分を見て全部を否定しないことのススメ
排気ガスが環境に悪いからといって、車をなくしてしまえばいいかというと、そうはいきません。車はとても便利で、もはや生活に欠かせないものだからです。だったら排気ガスが出ないようにすればいい。または、排気ガスそのものを良いものに変えてしまえばいいのです。ある一面だけを見て全部否定してしまうのは、違うと思います。現状の良い部分をもっと良い方向へ持っていける力をつけたいものです。 |
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| 3月6日更新 ………………………………………………………………………………………………… |
■起承転結
起承転結。世の中はどうも、この仕組みでできているようです。「起」事の起こり、「承」それを受ける、「転」状況が転じる、「結」結果が出る。生活も人生も仕事も、この起承転結の展開の善し悪しで決まります。
まず「起」。毎日、毎日、私たちの身の周りにはさまざまなできごとが起きています。次に「承」。起きたことをどう受けるか、つまり、どう気がつけるかですが、既にここからズレてしまっていることが多いようです。そして「転」。事が転じるということですが、できごとをどう解釈するかということでもあります。悪いできごとを悪いままに終わらせるのか、それとも良い方に考えなおして好転させるか、です。そして最後に意義のある結びを持ってくる。これが「結」で、ひとつの物語が完成します。
自分の考えていることや行動を当てはめてみると、どうも中途半端な物語を作っています。物語が愚痴になっているような場合は、「承」のあたりで止まっていて「転」にも「結」にも進んでいきません。たとえ「結」まで行ったとしても「もうやんなっちゃうよな〜」などという、落ちにもならないような結び方にしてしまっています。
物語は必ず、理想的な「結」に持っていかなければなりません。そうでなければ自分自身も納得できず、せっかくの経験が身につかないからです。生活の、人生の、仕事の成功物語を創造できる人を目指したいと思います。
どうあるべきかを考えることのススメ
自分の今後を考える時に「どうなるのだろう」と予測していたのでは、運を天に任せただけの受け身になってしまいます。「自分はどうなりたいのか」あるいは「どうあるべきか」を自分物語の最後に持ってくることによって、行動的な自分が生まれてくるのではないでしょうか。 |
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